当店の歩み
当家が現在の地に居を構えたは、1572年(元亀3年)頃とされています。「姉川の合戦」(元亀元年)に朝倉軍の足軽として参戦した矢部景清(現在の鯖江市新町出身)は、朝倉軍が一乗谷城へ敗走する途中、脱藩し数年後現在の地に住み着きました。野原の中の一軒家だったらしく屋号を広野屋としました。(鯖江市史第一巻より)
それから次第に、街中(鯖江本山付近)から見ての出村が形成され(1720年頃)その後、間部候から出村姓を名乗るよう御指示を頂き、現在に至ることとなります。15代目にあたる辰治が塗り師を生業としたのは1920年(大正8年)です。(15代=越前市、引接寺の幾度か焼失により、現存する過去帳上1704年記載からの推定)
2代目和男、3代目浩、そして現在、浩一が出村仏壇店4代目として日々精進しています。